ワックスに関する誤解、あるいは貧しきオーディオ愛好家の悦楽について

 今日は定休日。大きな予定はない。先週スピーカーケーブルの工作をしたり、CDプレーヤーのケーブルを交換して音が少し良くなったような気がして、気分が良いのでずっとやろうと思ってなかなか手をつけられなかったお店のスピーカーのワックスがけをしようと朝から店の方に降りていた。家内も降りてきて、今日は仕事するのか、と聞くので「うん(スピーカーに)ワックスをかけようと思って」と答えると、「ああ、(ソファに)ワックスかけてくれるんだ。えらいね。」と言われてしまい、そういえばソファのアームレストにお客さんが水をこぼしたりして、オイル仕上げのジョン・ケリー・チェアはそういう汚れがしみになるので、けっこう汚くなっていたのだった。まあ、ちょうど良い。まずはソファにワックスをかけてきれいにした。
使っているワックスは、ジリオのインテリアをやってくれた方のおススメ品のこいつ。

固形ワックスでムラにならない、使いやすいワックスだ。
で、これが愛用のTANNOY GREENWICHのエンクロージャーにもばっちり使える。

まずはスピーカーの結線を外し、下に下ろす。これがけっこう大変な作業なのだが、せめて結線を楽に繋いだり外したりするために、バナナプラグというのをかましてある。
これだ。

貧乏オーディオ愛好者の強い味方オーディオテクニカ社の普及品だが、しっかりした造りで好感が持てる。この機会に端子もアルコールで磨いておく。うちは珈琲屋なのでサイフォン用のアルコールランプ燃料があり、これは清掃用にも使えるのだ。ラベルにもCDなどのクリーニングにも使えますと書いてある。

で、スピーカーを下ろす。

このスピーカーはヤフオクで落札したものだが、前のオーナーには可哀想な扱いを受けていたようで、天板に水がたれた後がある。何度かワックスをかけているが、直後は奇麗になるのだけどだんだんこんなふうに目立つようになってしまう。地道に何度もやるしかないのだ。こういうのを「オイル養生」というらしい。

で、奇麗にワックスかけました。

ね、奇麗になったでしょ。
で、ついでにスピーカーユニットを支えているネジを締め直しておく。

だいたい半年に一回くらい締め直しをしているが、その度かなり緩んでいる。もし、まっとうなスピーカーシステムをお持ちの方で自分のスピ用の六角レンチをお持ちでない方がいらしたら、騙されたと思って買って締めてみて欲しい。ぐっと音の押し出しが強くなる。ただし動かなくなるほど強く締めてはいけないので軽く締まったな、くらいのところで止めるのがコツだ。ぜひ試してみて欲しい。

今回はついでに、スピーカーにかませてあったインシュレータを外した。

5年前に買った黒檀のインシュレータの受け側だけをかませていたのだが、本来のスパイク側と受け側をセットで部屋の方のシステムにかませてみようと思ったのだ。

で、かましてみた。

さっそくブラッド・メルドーのハイウェイライダーを聴いてみる。間違いなく気のせいだろうが音が歯切れよく飛んでくるようになった気がする。うん、それでいいのだ。
店の方はベタ置きになってしまったので、少し低音が品が悪い感じになってしまったので折りをみて適当なものを探そうと思う。

なんでこんなことをしようと思ったかというと、先週機器をいじったとき調べたいことがあって検索していたら偶然山本耕司さんというカメラマンさんの10年以上にわたるオーディオ機器との格闘が綴られた日記を発見して、これがもう面白くて面白くてずうっと読んでいるうちに自分でもいろいろ試したくなったのだが、金のかからないものでなくてはならないわけで、真っ先にスピーカーのセッティングを試してみたというわけだ。

もうひとつ、件の日記に頻繁にでてくる記述で「真空管の足を磨く」というのがあり、この人本当にしょっちゅう真空管の足を磨いているのだ。まさに「暇さえあれば」という頻度で。
私はやったことがなかった。
でアンプから抜いて見てみた。

うん、確かに酸化皮膜ができているようだ。
先ほど端子を磨いたアルコールで、こちらも磨いてアンプにセットした。

しょっちゅう真空管を外して、このクロームメッキの筐体をキレイキレイしているので、そんなに足は汚れていなかったようで、音に劇的な変化はなかったが気分的にはとてもいい。

今日のところは、このへんでかんべんしてやろう。とオーディオの神サマが言うのでいろいろと気持ちよくおさまった機器で音楽を聴こうと思う。
森麻季さんのSACD「ピェ・イエス」あたりから行きますか。

at 15:02, cafe-giglio, オーディオ

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日曜のスピーカーケーブル工作もまた楽し。

 TANNOYのGREENWICHスピーカーを自室にも導入して、ほぼ自分のための音楽再生環境はこれでいいだろう、と思っているのだが細かいところがまだ未完成で気になっていた。
まず、第一に機材の重ね置き。
これがいままでの機材セットアップだ。

ごらんのとおり、CDプレーヤーが2台重ねて置いてある。故障時の予備として買っておいたものなのだが、ラックの棚が一段しかないためこうなっている。Cafe GIGLIO店内のラックは逆に一段空いているので、そちらのほうに移動して最近読み取りエラーの出るようになったDENON SA500の替わりに使うこととした。

移動したらこうなりました。

プリアンプの上にもスペースができて、放熱効果がよくなったはず。

もうひとつは、すごーく細かいことで恥ずかしいのだが、スピーカーケーブルの捻れだ。
これがいままでのターミナルの様子。

黒の端子側のケーブルが大きくたわんでいるのがわかると思う。これはそもそもケーブルの長さが素人の端末処理のまずさで5mmほど黒側が長いことに起因している。で写真をよく見ていただくとわかるのだが、スピーカーケーブルは右と左を逆に結線している。実はこの歪みを最小限にしようと右と左を逆に結線しているのだ。このままでは音像の左右も入れ替わってしまうためプリアンプからの出力を逆にパワーアンプに入力することで補正している。正しく音は出ているはずだが無性に気持ち悪いのですよ、この状況は。

で、今日端末処理をやり直して繋ぎ直しました。
McIntoshの真空管パワーアンプMC275は現在も生産を続けている超ロングラン(1961年発表だから50年以上経ってる!)機だが、これは1995年のモデルで今となっては見かけることのないハーモニカ端子というターミナルを使っているので、太いスピーカーケーブルを端末処理するときは細身の圧着端子を探さなくてはならない。これを入手した横浜のメーカーも今はもう無く、あの時余分にと思って10個買っておいて本当に良かった。
出来上がりがこちら。

ふう。すっきりしたあ。
アンプの結線もやり直して、ついでにCDプレーヤーからアンプへのケーブルが製品の付属品だったのを発見!とりあえずで繋いだまま忘れていたらしい。製品に付属するケーブルは音が出るかどうかのチェックのためについている「オマケ」なので、このままではいけない。それに店の予備機にアクロリンクの良いケーブルをつないであるわけだが、こっちこそチェック用のものでよい。で、ケーブルを移植して今日の作業は終了しました。

あとはレコードプレーヤー用の良いケーブルが見つからなくて、ずーっと製品付属品を使っているのでこれをいつか探しに行きたい。現行製品なのに古い仕様になっていてコネクターのついたフォノケーブルが使えないので苦労する。あるといえばあるのだが、それなりのお値段がするので、プレーヤーとのバランスが悪い。高ければよいというものでもないのだ。
まあ、こういう苦労もまたオーディオの楽しみナノデス。
ゆっくりやります。

at 09:54, cafe-giglio, オーディオ

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よい新書を探すのは難しいが、得るものも大きい。

 もう10年以上前の話になる。
会社に勤めて3年目になり、なんとなく仕事のやり方も覚えてきて、そろそろステップアップしたいなあと思い始めた。先輩に聞くと、「まず本を読むことやで」(そう、関西の方でした)と言われ孫さんが当時まだ新進のベンチャー企業だったソフトバンクを起業するまでを描いた本を貸してくれた。「で、新聞は何読んでんねん」と聞かれたので朝日、日経、日経産業の三紙ですと答えたら、「せやからあかんのや」と即座に切り捨てられた。
「新聞でも雑誌でも何でもええから、一つのもんを隅から隅まで読むんや。広告も全部やで。」と教えてくれた。何でもええって、何がいいんですか?と聞いたら「そやな、せっかく会社で買うてくれてる日経ビジネスでええんちゃう。」と言われて、素直だった私は理由も聞かずにその日から新聞を日経だけにして、会社で回覧されてくる日経ビジネスを表紙から裏表紙まですべての文字を読むことに専心した。
その後何年かして、仕事で知り合ったゲーム・アナリストの方に「新聞記事には広告主の意思が、それが無意識だとしても必ず入り込んでいるし、世の中で起きている事はどんな小さなことだって、新聞記事のスペースで書けるような単純さでは出来ていないよ。」と言われ新聞を読む事も止めてしまった。そして、ああ、あの日先輩が言った事はこういうことだったかと得心がいったのだ。そして、何かを考えるとき、それがどういう理由で生まれたのかや、どんな経緯で変化したのかを追いかけて知りたいと思うようになった。
そういうとき、情報源として優れているのが新書だと思う。

しかし、新書を探すのは難しい。
だって新書というヤツは、あまりにも玉石混淆だ。
同じテーマを扱った本は山ほどあり、品質はずいぶん違う。だからぜひ書店で手に取って選びたい。著者でブランド買いできるものなら良いが、誰の意見が優れているかわかるくらいそのテーマに通じていれば、そもそも新書なんて読む必要はないのだ。
ところがこの新書というやつは小さな書店では新刊の一部しか置かれないし、すぐ廃刊になるので書店で見るといっても簡単なことではない。それでも東京にいた頃は大きな書店はいくらでもあったので少し足をのばせばよかったのだが、札幌に来てみるとなんと書店の少ないことか!
いや都心部には大きな書店がひしめいて苛烈な競争を繰り広げているのだが、いわゆる町の本屋さんが本当にないのだ。先日22年振りに故郷釧路に帰ってみたが、そこでもやはり書店は劇的に減っていて、駅前の大通にすら本屋はほとんど見当たらなかった。

だからしばらくレビューを頼りにAmazon.comで買っていた。最近のAmazonのレビューは本当にあてにならない。ひたすらわかりやすいものが高評価で、歯ごたえのある評論は、もっともらしい言葉で批判されたり、小さな瑕疵だけを取り出してまるでその本が素人の書いた間違いだらけの言説のように言われたりしている。
タイトルも良くない。
編集者が売らんかな、でつけてしまうのだろうか。まともな言説には似つかわしくない煽り文句のようなタイトルの本には手が伸びないが、そんな中に時々本当に良い本があるのだ。
斉藤貴男氏の「消費税のカラクリ」は、これからの消費税増税議論を前に全国民が読んでおいた方が良いと思われる基本を押さえた良書だと思ったが、この本を売るために「カラクリ」などという悪意のある言葉はふさわしくないのではないか。(しかし、この後に同氏が出版した本は「消費増税で日本崩壊」なので案外筆者自身の発案かもしれぬ)

というわけでなかなかアタリの新書を探せずにいるのだが、最近読んだ「反・幸福論」は実に良かった。
新潮45誌で9回にわたった連載エッセイをまとめたものなので、レビューによく見られる「論旨にまとまりがない」との批判は的外れで、一話一話完結した論説として読むべきである。
また、筆者は物事の多面性をよく諒解しているがゆえに、多方面からひとつの物事を論じる傾向があり、これを指して「論旨がふらつく」という批判も正当でない。
そういう意味では、この本を十全に理解するためには、それなりの教養的バックボーンが必要なのだとは思うが、だからといって読者を選ぶ本ではないと思う。重要なのは全国民総批評家時代の当世気風に流されず、虚心坦懐に言葉に耳を傾ける事だと思う。
できればすべての論説をご紹介したいところだが、すでにかなり紙幅を使っているので、「無縁社会」についての節にのみ触れておこう。

昔、仕事でお世話になった哲学の先生に教えていただいて、なるほどーとおおいに納得した話に、「近代化の正体」がある。

 ー大昔、王様は風呂でも寝る時も側近と一緒だったし、庶民は大きな家に親類一同で大家族で暮らした。「個室」が生まれたのは市民が王の支配を脱し豊かさを獲得したからだ。だから近代化とは生の個人化を意味する。ー というものだ。

反・幸福論の無縁社会観では、こういった「近代化」の本質に触れ、それはとりもなおさず個人が社会との「縁」を契約や法といった希薄な繋がりに委ねることを意味し、その「薄まり」は個人の「死」に際して極大化する。だから現代の死の多くは「無縁死」とならざるを得ない、と語る。それは、我々自身が本来必要でないものにまで自由や自己責任の原則を当て嵌め続けてきた当然の結末なのだろう。
「縁」には偶然の結果生まれたものであるがゆえの「覚悟」がある。自己責任の範囲内にある「繋がり」は切れるときも自己責任だが、血縁に代表される「縁」は受け入れてしまうしかないのだ。
「縁」というシステムを機能させる「ムラ」をすでに現代社会は捨ててしまったのだから、この時代に必要なものは、より複雑に制度化された法なのではなく、ある種の覚悟に裏打ちされた「死生観」ではないのかと結ぶのだ。

むー、勉強になる。
このような濃密な論がほかに、サンデル教授ブームの不可思議さから、原発の今後に至るまで展開されている。読むしかないだろう。


at 13:50, cafe-giglio,

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経済センサスに賢者の祝福を

 今年から始まる「経済センサス」の調査票が、このような零細な個人事業にもきちんと届いた。イメージキャラクタに久保純子さんが据えられていて、ちょっとテンションが上がる。何かとトラブルの多い初代プリウスの面倒を親身にみてくれたトヨタのアドバイザーとのお付き合いで一年のつもりでJAFに入会したのだが月刊の会報誌に久保純子さんのコラムがあって、それが楽しみで自動車保険のロードサービスで用が足りるのにJAFを辞められないほどのファンなのは、ぜひ内緒ということでお願いしたい。



肝心のセンサスの中身だが完全に実態調査の域を出ない、スタンダードな調査であった。
それでも、今までは無かったというのだから、やらないよりはずっといい。

前職で学校の広告を売っていたことは何度も書いたが、この世界には文部科学省が毎年実施している「学校基本調査」という定量調査があって、何を考えるにもそれが基準値になる。1000ページを超える膨大な項目の数値をどのように組み合わせて読むかが腕の見せ所で、高校側の進学者数と高等教育機関側の受入数の差分をとって社会人入学のマーケットサイズを測り、学校側に新しいマーケットの創出を提示したり、複数年の調査を横串にして退学者の数を学校種別に測り、学校の新しい魅力作りの指針として提案したりしたことを思い出す。

古巣リクルートでは(たぶん)今でも「進学センサス」という独自調査をやっていて進学行動の動機についての解明に努めていた。確かにコストはかかるが、メディアの設計や何より教育という「産業」に対する自らの姿勢を定めるために大変有効な取り組みであったと思う。

初年度の経済センサスが誰の設計によるものか知らないが、A3裏表という超簡潔な調査票の、しかも3/4は確定申告と同内容。残りの1/4で設備投資の意思と実績、電子商取引の意思と実績、そして外国資本比率を問うという内容では、税制改革の理論補強ためかななんて、なんとなく調査の意図も薄っぺらに透けて見えて興ざめではある。

が、何度も言うが、あったほうがいいものなのでぜひ継続してやっていただきたい。日本経済の実態が掴めるようブラッシュアップしていけば良いと思う。
そして、そんな日本で政治や行政がやれることを正しく見定めていただきたいと切に願う。

ビジネスのいろはを学ぶとき、よくPlan-Do-See-Checkという行動サイクルを教わることが多いが、私は実用的でないと思う。正しいプランニングというのは実に難しく、とりあえず、でスタートしてサイクルさせてしまうと出口のない自家撞着に陥ることが多いのだ。何かをやれば結果は出る。正しかったか、間違っていたかだ。間違ったことを繰り返さないというのは、愚者のやることであり、賢者は他者の失敗からも学ぶのだ、とビスマルクは言った。

調査から何かを読み取るのは実に難しい。
愚者のサイクルに陥らないよう、何かの前提ありきで数字を見ないで賢者の言葉に耳を傾けたいものだ。
「戦略の本質とはなにか、と訊かれたら、私は躊躇なく、『自己のもつ手段の限界に見あった次元に、政策目標の水準をさげる政治的英知である』と答えたい。古来、多くの愚行は、このことを忘れた結果である」(『現代と戦略』文藝春秋)と永井陽之助先生も言っておられる。

at 17:34, cafe-giglio, 時事放談

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1月に読んだ本たち

 今日から2月ですね。
本当に1月というのはあっという間に過ぎてしまいます。
今年は本を読んだ記録をつけようと年初に決めて、「読書メーター」というWebサービスに登録してみました。
で、一ヶ月毎の入力データをまとめる機能がついていたので、さっそく1月分をまとめてみましたよ。

2012年1月の読書メーター
読んだ本の数:7冊
読んだページ数:2759ページ
ナイス数:4ナイス

■桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活
読了日:01月31日 著者:奥泉 光
http://book.akahoshitakuya.com/b/4163804609

■モーダルな事象―桑潟幸一助教授のスタイリッシュな生活 (文春文庫)
袋小路に入るまいと新しい表現を追求する日本の本格推理シーンに、この作品はとても大切なメッセージを突きつけていると思う。文学なのだから文章そのものに魅力がないと駄目だよ、ということと謎そのものの品質が高くないと駄目だよ、ということだ。この作品の「謎」はその姿がすっと心に入って来ない。その全貌が見えないところに話者「桑幸」を置いているからだ。しかしただの狂言廻しではなく、作品世界の不条理サイドを体現する役割を与えていて、それが実に魅力的だ。続編よりも「鳥類学者のファンタジア」と併せて読むべきだと思う。
読了日:01月28日 著者:奥泉 光
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/16120565

■最後のディナー (文春文庫)
「異邦の騎士」という作品の存在こそが「御手洗・石岡シリーズ(この作品群はそう呼ぶべきだと思う)」を凡百の本格ミステリと隔てているのだと思うが、石岡氏が異邦の騎士での事件で負った精神的な痛手のその後と犬坊里美に言及されている本作品は、それだけでファンとしては嬉しい。島田氏の近作はどれも提示された謎が小粒であるか、歴史的なものに題材を採る分ミステリ的愉悦に欠けると思う。それでも石岡の見事なまでの気鬱と御手洗の快刀乱麻の推理の名コンビネーションがあれば、それだけで大満足だ。初めての方にはおススメできないが。
読了日:01月12日 著者:島田 荘司
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/15738079

■寮の七日間―青春ミステリーアンソロジー (ポプラ文庫ピュアフル)
東京創元社の放課後探偵団が面白かったので、似たような手触りの本書を購入。アンソロジーだが、収録の4作品を貫く共通設定が仇になっているように感じた。まずは舞台に設定された紅桃寮が、たまたま名前が同じ別な舞台として書かれているため設定した意味がなくなっている。同じ建物として設定し特徴的な管理人なりホールなりを設定しておくべきだったのではないか。さらに、学校の寮の設定にした3作品すべてでキーパーソンの意外性が共通してしまい、意外性勝負のプロットが死んでいる。そこにこそ編集が介在しなくてはならないはずだ。
読了日:01月11日 著者:加藤 実秋,谷原 秋桜子,野村 美月,緑川 聖司
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/15715495

■スノーボール・アース: 生命大進化をもたらした全地球凍結 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
子供の頃習ったことの多くはすでに新しい学説で塗り替えられていることが多い。そしてそんな革命的な学説の誕生の裏側に、学者さんたちのこんなにも人間的な意地の張り合いや嫌がらせ、そして友情と感動のドラマがあったとは!面白いよなー。上っ面だけ面白そうにした教科書じゃなくて、こういう本を子供たちに読ませてやりたいよ。
読了日:01月09日 著者:ガブリエル ウォーカー
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/15678314

■アレクシア女史、欧羅巴(ヨーロッパ)で騎士団と遭う (英国パラソル奇譚)
前巻までのハーレクイン風味が薄くなり、看板通りスチーム・パンク色が強くなってきた。しかし何と言っても読みどころは「歴史改変」の作法だと思う。今回は英国、フランス、イタリア、ドイツ各国の個性の違いを歴史改変設定に非常に巧みに織り込んで表現していて興味深く読んだ。当然スチーム・パンクなので英国視点で描かれる、特にイタリアのお国柄が非常に魅力的。テンプル騎士団、そうなるのか!という改変ぶりも実に愉しい。あと残り2巻。しっかり構築されたフィクション世界を最後まで安心して楽しめそうだ。
読了日:01月06日 著者:ゲイル・キャリガー
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/15594117

■赤朽葉家の伝説 (創元推理文庫)
Webミステリーズ!で連載されている読書日記からは、作者の読書傾向に一貫して「不思議さ」への憧れが感じられるが、それが作品の随所に滲んでいて大きな場面展開を持つ小説世界に必要な強い統一性を持たせている。全体小説というには少々コンパクトなこのサイズもテーマ性を見失わせず適切だと思う。時間を超えて残っていく小説に特有の「時代を見る目」の確かさを複数世代に渡って書き綴ることに成功していて強く共感した。この時代の変化を「喪失」ではなく「主観」と「客観」の併存として処理する瞳子ちゃんの思考は実に得難いものだと思う。
読了日:01月02日 著者:桜庭 一樹
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/15516159


▼2012年1月の読書メーターまとめ詳細
http://book.akahoshitakuya.com/u/164802/matome

▼読書メーター
http://book.akahoshitakuya.com/

at 09:54, cafe-giglio,

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本日より営業再開いたしました。

 シェフパティシエのリンパ腫切除手術で皆様にはご心配をおかけしましたが、順調に恢復し本日より営業を再開いたしました。お見舞いのメッセージも多数頂戴し、ずいぶん励みになりました。この場を借りまして御礼申し上げます。
ますます精進して参りますので、今後ともよろしくお願いいたします。

at 10:21, cafe-giglio, カフェジリオ

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術後の経過は良好です

 みなさまにご心配をおかけしたしました、パティシエの鼻の手術ですが1/13無事に成功し、1/20に抜糸いたしました。切除したリンパ腫から悪性の腫瘍は発見されず一安心です。

術後、三日間にわたって顔面が大きく腫れてまるで試合後のボクサーのようになり慌てて病院に駆け込んだら、「鼻の手術をすればこうなります。極めて順調ですよ」と言われて、ホンマかいなと思いましたが、四日目から腫れも引き始めて一週間で抜糸ができるところまで恢復しました。しかし、まだ糸の跡から感染症を起こす可能性が高く、まだ医療用テープで保護している状況です。

ああそれなのに、本人が一番我慢できないようで、気をつけながら30日月曜からのリスタートを目指して仕込みを少しずつ始めています。
お客様に期待されている。
お客様に喜ばれている。
そして何より、我々自身がこの仕事を楽しんでいることを改めて知りました。
さて、もうひと頑張りです。

at 08:35, cafe-giglio, カフェジリオ

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あけましておめでとうございます。

 あけましておめでとうございます。
Cafe GIGLIOは本日1/2より2012年の営業を開始いたしました。
本年もぜひよろしくお願いいたします。

開始した早々、お休みの話で恐縮ですが、シェフ・パティシエがリンパ腫切除の手術を受けることとなり、1/4と1/13~1/29まで長期のお休みをいただくこととなりました。
珈琲は鮮度が命などと言っておきながら2週間もお休みをいただくのは大変心苦しいのですが悪性に転ずる可能性もあるとのことで早めに切っておくことにしました。なにとぞご了承くださいませ。

at 11:25, cafe-giglio, カフェジリオ

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その夢なら、今でも僕が預かっている。

 クリスマスになると、決まってポーグスとカースティ・マッコールのデュエットによる「ニューヨークの夢」をかける。
なぜ、この曲をかけるのかについては毎年書いているが大事な話なので今年も書く。

この曲に描かれているのは、アイルランドから夢を追いかけてアメリカに移住して来た移民の物語で、なかなか成功を掴めず年老いてしまった夫婦が、若い頃の出会いから始まり、クリスマスの夜に飲んだくれて警察に拘置され一夜を明かした翌朝の会話で終わる。
その会話がこれだ。

「俺には明るい未来があったはずなのに・・」

「そんなこと誰にだって言えるわ!
「最初に知り合った時に、あなたは私の夢を持って行っちゃったのよ」

「ああ、その夢なら俺が今でも大事に預かっているよ
「自分のと一緒にしまっているのさ
「俺はどうせ一人でやっていけるような強い男じゃない
「君がいなければ夢を持つこともできないんだ」

・・何度読んでも泣ける。
そうだ。僕はこのご老人の言い分に激しく共感している。

僕たちは、幸運に恵まれて夢のひとつを叶えて、こうして札幌でケーキ屋さんを開いた。でも思い返すと僕の心にあったのは「サラリーマンにはなりたくない。けど今の自分に何ができる?」ということだけだったのかも知れない。消極的な選択肢として「喫茶店ってのもいいかなあ」と思っていた僕の前に、子供の頃からの「ケーキ屋さんになりたい」という夢を実現するための資金が欲しくて就職しましたっていう人(家内デス)が現れて、自分の考え方の甘っちょろさに深く恥じ入ったのだが、図々しい僕はその人の夢に自分の漠然とした希望を仮託することで、形をもった「夢」に変えてもらったのだ。
そうしておいて、僕らは二人分の夢を束ねて半分ずつの力で実現したのだった。

そして強欲な僕らは、二人で作ったもうひとつの夢を持っている。
家内の菓子職人修行のスタートがたまたまイタリア料理店のドルチェ担当であった縁で、イタリアという国に興味が湧き、二人でイタリア語を学び、実際に何度もイタリアに出かけた。バイオリンが生まれた街クレモナには音楽が溢れ、欧州文化の故郷フィレンツェには今の我々の生活のルーツが眠っていた。ヴェネツィアには職人の誇りが息づき、シエナには静謐な「生活」がゆっくりした時間の中をたゆたっていた。
この国で暮らしたい!誰だってそう思うだろう。僕らもそう思った。
パリもベルギーもドイツもそれぞれに素敵だったが、イタリアは別格だ。
二人でお店をやって、歳を取ったらイタリアに住もうと約束した。


「その夢なら、今でも僕が預かっている。」
クリスマスが来る度に、ポーグスの「ニューヨークの夢」を聴きながら、その約束が風化していないのを確かめる。
二人分持ったのに重くならずに、足取りが軽くなる「夢」の不思議を思いながら。

at 10:13, cafe-giglio, カフェジリオ

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ジョンの命日に思う或るドラマーの死。

 ジョン・レノンの命日である。
毎年この日になるとジョンの名前がメディアに登場し僕は中三の冬を思い出して複雑な気分になる。
学時代に僕にロックのなんたるかを教えてくれたのは間違いなくLed Zeppelinだった。ドラマーのジョン・ボーナム(ボンゾと呼ばれていた)はジョン・レノンと同じ1980年の9月に死んでいたというのに、同年12月4日にバンドの解散が発表された時になって北海道新聞の夕刊の最終面に小さな記事が載って、それではじめてボンゾの死を知ったのだ。
我々がZepのファンだと知っていた担任の先生が(こういう素敵な先生、今でもいるのかなあ?)教室に残っていた我々に教えてくれたことも忘れられない。
そして4日後、ジョン・レノンの死は新聞の一面を占め、社会的な影響の大きさを見せつけた。ジョン・レノンの死を悼みながらも、マス・メディアの扱いのあまりの違いにちょっとボンゾが可哀想になってしまった。
かくいう僕だってジョンの命日になると決まってボンゾのことを思い出すというんだからまるっきり同罪なのだが。

at 10:20, cafe-giglio, 音楽

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